サザビーズが6月19日に開催する印象派&近代美術のイブニングオークションにて、アメデオ・モディリアーニの迫力ある重要作品が出品。
モディリアーニの全作品の中でも、《膝で手を重ねる若い男の坐像》のような痛ましさを持つ作品は少ないでしょう。画家の悲劇的な死のたった2年前に描かれたこの作品は、激しさと空虚さを併せ持った眼差しで鑑賞者を射抜きます。描かれていない瞳は無限性を示唆しており、その無限性は外見はありふれていながら、内面は計り知れません。
柔らかく、それでいて観る者を釘付けにするような姿が画家の円熟期の肖像画を象徴している《膝で手を重ねる若い男の坐像》は、モディリアーニがコート・ダジュールに住んでいた第一次世界大戦末期に描かれました。1918年4月、戦争の終わりを比較的安全に過ごすため、彼はジャンヌ・エビュテルヌと共にパリを去りコート・ダジュールに移り住みました。
モディリアーニは、ニースとカーニュ・シュル・メールの間を行き来しながらコート・ダジュールに1919年5月まで滞在し、その間、同じ理由でパリから南仏へと逃れてきた画家達と交流していました。パリでしばらく、スーティン、リプシッツ、コクトーやキスリングなどアヴァンギャルドな芸術家達や、作家のマックス・ジャコブ、そしてポール・ギヨームらボヘミアン仲間と過ごし、彼らの肖像画を描いたモディリアーニは、その後、農民や、召使い、売り子や南仏の子どもたちといった無名の人々が座っている姿を多く制作し始めたのです。
ヴェルナー・シュマーレンバッハはこう著しています。「モディリアーニはまさしくこの時、無名の市井の人々の画家となった。庭師や弟子、若い農夫、女中、女薬売り、時に子どもたちなど一般の男女を描き、また彼らはモディリアーニ自身とは異なる、低い社会階層の人々であった。その転換は社会的批評を受けてのものではなく、強烈な関心によるものである……肖像画は、寡黙でありながらも内からの同情が強く表現され、ひどく痛ましさを覚える」(W. Scmalenbach、Amedeo Modighiani, Paintings, Sculptures, Drawings、ミュンヘン、1990、p. 43)。
無名の少年をモデルとした本肖像画は、この時代のモディリアーニの優れた絵画作品に特有の静かな美しさと共感をこめて描かれています。4分の3正面で描かれた少年は前を見つめ、手を膝の上で重ねながら質素な椅子に座り、頭部を片方にやや傾けています。人体の簡素化、優雅な旋律のようなS字型の身体のしなり、神秘的で他を寄せ付けない雰囲気を与える虚ろな瞳と、引き伸ばされた首と頭部。マニエリスム的に長く伸びた少年の顔と体、少年の夢見がちでメランコリックな表情には、モディリアーニが1916年以降の肖像画で発展させていった独特な特徴が見事に統合されているのです。
![Chaïm Soutine, Le chasseur](https://sothebys-com.brightspotcdn.com/dims4/default/cfc9362/2147483647/strip/true/crop/2042x2500+0+0/resize/684x837!/quality/90/?url=http%3A%2F%2Fsothebys-brightspot.s3.amazonaws.com%2Fdotcom%2Fe0%2F66%2Fddff13b04e409ecca696456d1b5d%2Fmodigliani-189l19006-b8mds-comp.jpg)
モディリアーニは最期の数年をパリの活動的な界隈から離れて過ごしていたにもかかわらず、芸術が大きく動いていくのを鋭く感じ取っていました。ピカソ、ブランクーシ、スーティンといった仲間の芸術家や友人たちは、写実的手法から先鋭的な抽象へと移行し始めていました。画家・彫刻家として活動していた初期の頃には、20世紀美術の発展を形作っていたそのような急進的スタイルの先頭にいたモディリアーニでしたが、今や、解釈の可能性をより自然なアプローチで描写する方向へ模索していくことを選んだのです。
他のアヴァンギャルドな芸術家たちと明らかに共有していたことは、プロヴァンス地方で過ごしている間、特に身近に感じていたセザンヌが残した遺産への崇敬の念でした。セザンヌは多くの肖像画で、題材を簡素化すると同時に表現の幅を深める太い筆跡を用いています。
《膝で手を重ねる若い男の坐像》の制作時、モディリアーニはそれと似たアプローチで題材を解釈し、情緒的な豊かさをこめた幅広く簡素な筆致でモデルを描きました。モディリアーニの肖像画を特徴づけているのは、一方では芸術的遺産の独特な解釈と流行の間の繊細なバランスであり、また他方では自然主義とモデルが秘める性格や心理への関心です。
肖像画を通して感情を描き出す、彼の比類なき技量によって、《膝で手を重ねる若い男の坐像》は非常に個人的で親密に描き出されました。柔らかい土のような色彩が作品に静謐さを与えるとともに、モディリアーニのトレードマークともいえるアーモンド型の空虚な瞳が、孤高さと同時に無限の可能性を伝えています。
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