日本美術

出島出入絵師・川原慶賀の眼

By ドゥオン 彩子
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11月5日、ロンドンにて開催される日本美術オークションに、川原慶賀作と伝えられる作品が計37点出品されます。

長崎・出島において、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトのもとで日本の風俗や動植物の絵を精密に記録しながら、鎖国状態にあった日本の内情をヨーロッパへ伝える大きな役割を担ったのが、絵師・川原慶賀(1786-1860?)でした。大変多くの作品を残したと考えられる慶賀ですが、そのほとんどはオランダやロシアなど海外に所蔵されており、日本国内に残っている作品は50点ほどしかありません。

長崎で生まれた慶賀は、25歳の頃、日本人の通行が厳しく制限されていた出島に出入りする特別の許可を得て、「出島出入絵師」としてオランダ商館長の家族像などを描いていました。その後に来日したシーボルトとの5年間の関わりが、慶賀の絵師としての人生を大きく変えることになります。医師としての本業のかたわら、日本で植物学や民族学の研究を望んでいたシーボルトは、慶賀を片腕として雇い、動植物標本の採集に邁進します。
現在はロシア科学アカデミー図書館に残る植物図譜で、慶賀の繊細な色使いと優美かつ精密な筆致を見ることができます。

Kawahara Keiga, Prunus armeniaca, 1823-1829. Photo: WIKIMEDIA COMMONS

シーボルトは日本を離れるにあたって後任となる助手ビュルガーに手紙を送り、慶賀についてこう記しています。

「…日本人画家登与助[=慶賀]の確かな手腕と、日本の鮮やかな絵具は、自然や実物の美しさに負けないであろう」。
— L.B.ホルサイス、酒井恒『シーボルトと日本動物誌:日本動物史の黎明』、学術書出版会

同じ手紙の中で、シーボルトは日本の魚類を全て写生することを提案しており、ビュルガーのもとで慶賀が描いた鮮やかな魚図300点以上がライデン国立自然史博物館に所蔵されています。当時の日本の画家には珍しく、慶賀が客観性と抽象性を備えた西洋的な博物画を描く腕を持っていたことは特筆すべきでしょう。

慶賀はオランダ商館員の求めに応じて、日本の風景や風俗画も多く描きました。遠近法や鳥瞰図といった西洋的技法を駆使しながらも、日本画の伝統に則って絹本に日本絵具で描かれた作品は、鎖国時代の日本が西洋と絵画上で入り混じる不思議な魅力を放ち、洋画の単なる模倣にとどまらない慶賀独自の視点が感じ取れます。商館員フィッセルが日本の絵画について「オランダ人が持ち帰ることのできる絵は、長崎において唯一の画家によって描かれたものである」(『日本風俗備考』)と述べた、川原慶賀を指していると思われる記述があり、ヨーロッパ人にとって、慶賀の絵が日本を知る数少ない視覚的資料だったことがうかがえます。

川原慶賀は、シーボルトの眼になりかわることで、日本の事物の数々を正確に写し取りました。さらに出島の絵師として西洋と日本画両方の技法を吸収して消化しながら、独特の視線で日本の風景を捉えました。
西欧の人々は慶賀の絵を通して、彼の瞳に映った遠く離れた日本を垣間見たのです。

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